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とるにたらない
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そんなわけで、本日は告別式でした。








朝の十時くらいに出発し、十一時に到着。
出されたご飯を食べて、暫し歓談。
十三時に告別式が始まり、ちょっとばかり長い読経とお焼香、弔辞の言葉。
出棺前に花を添えてお別れするのですが、なんだか本当に最後なんだなあと思うとやっぱり涙が出ました。

そのあとは車で火葬場へ。最近の霊柩車って金のシャチホコみたいなやつ載ってないのね。そういや見かけないなとは思ってた。
最後のお別れをして、それから火葬が終わるまでまた待機。
控え室で一時間半くらい待機して、電話とアナウンス。
収骨室に集ってお骨を拾います。
台車が出てきて、もうすっかり白骨のみになった姿を見たときは、生きても生きてもやがては塊といいますか、無情感を感じました。
あの焼けたてって感じの湯気とか、独特のにおいとか、しばらくは忘れないと思います。
実際においは服とか髪とか諸々に染み込んでました。
足から拾うわけなんですが、割ともう焼ける過程でなのか、ある程度崩れてるんですね。破片っていうか。
それを集まった親戚で一つずつ拾って、喪主とか故人に一番近しい間柄の人が顎の骨やら耳の辺りの骨やら喉仏やら頭蓋骨やらを納めて、それで終了です。
残りの骨はどうなるのかと思ったら、別途葬ってくれるのだそうです。

その後斎場に帰って初七日をやって、最後に料理を食べておしまいでした。
家に着いたのは九時ちょっと過ぎくらいかな。

私らはあくまで親戚なのでここまでですが、遺族はこれからまだ色々と大変なんだろうなと思います。


今回いろいろあって思ったのは、まず突然だということ。
突然倒れてそのまま、なんてざらにあるのだということ。なのでやっぱり、ある程度覚悟は必要なんですよね。
今回は入院期間とかもあって、ある程度の予測がついていたから少しは猶予があったのではないかと。
倒れてすぐ亡くなって、ということならもっと慌ただしく今より大変だったろうと思う。

それと、やっぱり葬式とかっていうのは遺された人たちのためにあるんだな、ということ。
本人が実のところどう思っていようと、やっぱり近しい人が亡くなれば、ちゃんとした手順を踏んで葬ってあげたいと思うものだし、だからああいう会葬とか供養とかが必要になる。
それと、式の色んな段階を踏んで、故人の遺体や遺影、位牌を前にしてお別れすること、
故人の遺体ともお別れして、遺体が骨になり、それを各々拾って納めるという過程を経て、ある程度の気持ちの整理がついていくものなのかなあと。

とは言っても私が近いようで少し離れた間柄だったからこういうことが言えるだけであって、実際近親者が亡くなったらそんなふうには言えないかも。

でも、生まれたばかりの命があれば、やっぱり死んでいく命もあって、
今回はそれを間近で感じることができたかな と。
誰しも死は逃れられないから、それが遅いか早いか。
誰を見送って誰に見送られることになるか、それはわからないけれど、
とにもかくにも、その時を迎えて後悔しないように。
やれることをやって、未練を残さないように去りたいと思う。
まだ若いつっても、事故とか病気とか年齢あんま関係ないしね。

ただ悔いを残さないように、いまを生きるのみ。
それだけなんだな、と。

今日のことを忘れないよう、記します。






明日と明後日は講習会だぜママン。
ゆーうつですが、終わったらうささんを迎えに行くので頑張るます。
ブログもこれからはまたいつものテンションでやっていきますー。
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