とるにたらない
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何やらいろんなことを考えたり考えたり考えたり。
自分らしさ。
って
なんですかね。(唐突)
人というのは変わるもので、むしろ変わらない方がおかしいと思うんですが、かく言う私も年々何かが変わっていっているとは思っています。
ただ、残念な方に変わっていっていないかと。
要は退化していないかと。
毎年そんなことがずっと気になったりするわけです。
まあでも昔よりはまともに人と話せるようになったかなとか(当社比)自覚している良く変わったところはあるにしても、劣化したんじゃないか?と思わしきところもある。
良いとこ取りなんて無理だろうけど、例えば自分の良いところだった部分が、新しく何か良いところを身につけた代わりになくなったんだとしたらそれは損でしかないんじゃないかと思うんですね。
具体的には、考え方が柔軟になったとして。
自分の中での信念を貫き通す考え方っていうのをなくしてしまったら、果たしてそれは良くなったといえるのだろうか?
とかね。
まあでもそんなことをつらつら考えていても答えは出ません。
何かね。まだ20年ちょっとしか生きてなくて経験も少なくて、そんな状態ですべての疑問の答えを出そうとするのもおこがましいよ。
考えることは無駄じゃないんだと思うけどね。
例えば何か嫌な事が在るとして、
それに伴って色々考える。
決して無駄ではないと思うんですよね。
只勿論嫌な事は嫌だから、なかなか「自分自身の幅を広げるため」なんて考え方は即時できないけど。
楽しいだけじゃ何も考えない。
少なくとも私はそうです。
嫌なこととか儘ならないことが在るからこそ、次はどうしようこうしようって考えたりするもんじゃないですか。
ああすればいいんじゃないかこうしたらいいんじゃないか。
そこで導き出した答えは間違っていたとしても、間違いって。一体誰が判断するんだろう。
自分の全身全霊を賭けてもいい何かに出会えることは幸せだと思うし、それを見つけたいとも思う。
でもそれが一体何なのか、いつどうすれば見つかるのか。そんなことは誰にもわからない。
何かに必死になることは周りが何も見えなくなること。
周りがすべて見えることは何にも没頭していないこと。
何が良くて。何が悪くて。何が駄目で。何が最善で。
そんなことはわからない。でも、それを探したいと思う。
きっと何も悪いことじゃない。
人それぞれいろんな考え方があって、時として合う合わないはあるだろう。
私は私の考え方。貴方は貴方の考え方。
交わることもあれば、平行線を辿ることもあるだろう。
私はこんな性格なので、なかなか上手く人と折り合いをつけられなかったりする。
昔はおちゃらけたりして人に笑ってもらうのが好きだったけど、今は何かを怖がってはっちゃけられずにいる。
そしてそのまま何年も経って、ユーモア性を失くした状態で凝り固まったのが私。
面白い話をしたい。楽しい話をしたい。
でもうまくいかない。それがジレンマ。
きっとそれを望まなければ、何も考えることはないのだろう。
と見てみると、ああ私は本心では相手を楽しませたいと考えているのかなとか思ったりもするわけだ。
自分自身のことだってなかなかわかってない。
でも、私はまだまだガキで、自分のことしか見えないくらい視野が狭い。
人のことを考える余裕はほとんどなく、自己中でエゴの塊だ。
そんな自分が嫌だ と思うということは 他人を大事にしたり気を遣うことができる自分になりたい と思っているということなんだろうな。
何かが嫌で嫌いでっていうのは、その逆を望んでいるからなんだろうか。
そんなことをふと思った。
私は本当は、周りと調和したかったんだな。
でもそれがうまくできなくて悔しい。
自論ながらちょっとなるほどと思う。笑
良いところ。悪いところ。好きなところ。嫌いなところ。
色々ある中でも、うまく理解して噛み砕いたうえで誰とでもつきあっていくことができるのなら、それが一番素敵なことなんだけど。
理想論過ぎてとんでもないですね。おまえは性善説派なのかと。
でもこうは言ってても実際はね、全然聖人じゃないしそうなろうとも思わないし身勝手な人間ですよ。
まだまだ修行が足りないですねほんと。
で、そんなことを言いながらも自分らしさの話に戻しまして。
私は何をしてても劣等感でいっぱいだけど、そんな中で唯一自分自身誇れるものが在るとすれば、それは創作でしかあり得ない。
わからないけどやっぱり私にはこうして、文字や絵で表現することが合っているのだと思う。
例えば京くんみたいに、声で全身で自分自身の体を使って表現をするんじゃなく。
私は創作物で自分を表現したい。
文章を通して自分の考え方を知ってもらいたい部分もあるし、単純に物語を紡ぎたい気持ちもある。
姿を表に出してあらわすんじゃなく、間接的な手法だけども。
それが自分に合ったものじゃないかと思う。
ただそうなるとインプットとアウトプットというか、最初に少し書いた「何かが良くなれば何かが悪くなる」ということにも似て、
例えば喋りを鍛えたら、文章表現が下手になるんじゃないだろうか?
そう思うことも時々ある。
私は口下手で、話下手です。だから代わりに文字で話すんです。
仕事をしていても思ったけど、社交的になって喋りで考えとかを発散させてすべて伝えてしまえば、そこで満足して文章として伝えたいものがなくなっていくんじゃないだろうか?
今ブログの更新頻度が減ってるのは忙しさもあるけど、単純にそれもあると思う。
極端すぎだとか考えすぎだとかあるかもしれないけど、やっぱり思うのが、そこで満足していては駄目だと。
例えば生活に満足していたとして。何も不自由が無いとして。
そんな状態で伝えたいことって何だろう?
私は今幸せですよ。何も不自由してませんよ。
なんてことを周りに訴えかけたって「それで?」という話だ。
まあ、この幸せな気持ちを周りにも分けてあげたいとか、周りも自分と同じように幸せな気持ちになってほしいとかそういう考え方もあるかもしれませんが。
でも私が表現したいのはそういうことじゃない。
と考えてみると、やっぱりマイナスな部分に重点を置いているんだなっていうのがわかる。
苦しい思いをして、辛い思いをして、そんな時にどう立ち向かうのか。どう感じるか。
なので、そういう意味でバッドエンドが好きなんだなーと思います。
途中で保存したら書きたいこと忘れたw
これはここまでにします。
考えすぎは良くないことかもしれないけど、考えないと衰えちゃう気がするんですよね。ハイ。
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